ポケモンGOがリリースとされている日、
7月11日は、岩田氏が亡くなられた日でもあるのです。
なので、ポケモンGOには岩田氏の想いがたくさん詰められた作品でもあります(*^^*)
その岩田氏とはどんな人物なのかを紹介しますね(^ω^)
ポケモンGO 元取締役会長岩田聡さん
2002年から、2015年に在任のまま逝去するまで、任天堂の代表取締役社長を務めた人物。
2000年、任天堂社長だった山内に経営手腕を買われ任天堂に入社し、
取締役経営企画室長に就任した。2002年、42歳のときに山内から指名を受け、2002年6月1日付けで代表取締役社長に就任しました。
当初次期社長は、
山内溥の長男山内克仁か娘婿の荒川実だと思われていましたが、
他の古参取締役を押し退けて、入社2年目の岩田の大抜擢は、異例中の異例なのでした(*’ω’*)
その理由が
任天堂社長としてはニンテンドーDS、Wiiの2大ヒット商品を世に送り出し、同社を大きく成長させたことで大きな実績になったのです♪
他にも、
有名なものでは、開発中止寸前の状態に陥っていた「MOTHER2」に参加したとき、スタッフ達に対し、
「このまま、今あるものを使って完成させるなら2年かかります。
しかし、私に1から作らせてくれるというのなら、1年で完成させます。どちらにします?」
と提案し、
全てのプログラムを組み直し、言葉通り1年で完成させたという逸話があります(●^o^●)
そんな岩田井氏の人生の転機が訪れました。
2015年7月11日、胆管腫瘍により、京都市内の病院で逝去しました。
享年55。
任天堂から発表があったのは、13日のことでした。
岩田氏の急死は、全世界でも大きく報道されました。
岩田がこの世を去ったあと、世界で哀悼の意が捧げられました。
ポケモンの社長石原恒和は、「ハル研究所の社長だった時代から20年を超えるお付き合いでした。岩田さんは私を戦友と言ってくれますが、私にとって岩田さんは人生最大の恩人であり、先生であり、相談相手であり、最高のビジネスパートナーでした」と悼んだ。
ポケモンGO 石原氏「Pokémon GO」発表会に込めた想い
同発表会冒頭でのポケモン代表取締役社長、石原恒和氏の挨拶。
「本日のプロジェクトは2年に渡り、任天堂の岩田(聡)さんと取り組んできました。本来でしたら、今日この場所でいっしょに(ポケモンGOを)発表したかったです」
その「ポケモン」のつぎの展開について考えていたとき、石原氏はひとつの作品と出会ったいました。
それがGoogleの社内スタートアップから始まったNiantic, Inc.が手掛けるアプリ「Ingress」だったのです。
「Ingress」をプレイした石原氏は夢中になり、
「ポケモンに通じる哲学を感じた」(石原)。
そんな「Ingress」を開発したNiantic, Inc.となら「すばらしいものが作れる」(同)と、
このプロジェクトを実現させようと考え、同社を「Pokémon GO」プロジェクトのビジネスパートナーに選んだのでした。
ここからポケモンGOの作品のスタート。
大人から子供まで幅広く愛されているポケモン(●^o^●)
たくさんの想いが込められたポケモンGO。
たくさんの人にポケモンGOで遊んでほしいですね♪
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